サロンオープンまでの話しとオーナーアコのプロフィールです。
Stage,1『ねこのこね。』 |
---|
ねこのこね・・『こね』は英語の『connection』が語源で、つながり・関連というような意味で使われています。わたしは、ねこのこねで素敵な出逢いがいくつもいくつも舞い込んできました。プロフィールを皆様にお伝えするには『猫無しでは語れない!』ということで、少々過去の話しから綴ることにしました。 |
Stage,2『突然、猫との暮らしがはじまりました。』 |
梅雨のジメジメした蒸し暑い日でした。自宅から程近い駅前の横丁を夫と歩いていると、どこからかミィーミィーと鳴き声が聴こえてきます。声のする方へ近付いてみると子猫が物影でうずくまっていました。挟まって出ることができなくなっているようにも見えました。手を差し伸べると、わたしの身体に懸命にしがみついて離れなくなり、ミィミィ鳴きながら胸元に顔をうずめてきました。掌にすっぽり収まるほど小さい子猫が必死にしがみつき小さく痩せた身体からせいいっぱい鳴く姿に心がキューン。夫も同じ気持ちでした。子猫も必死にしがみついていましたが、泥まみれで汚れてしまっている子猫をわたしが手放せなくなっていたのでした。そんなことから突然、猫との暮らしがスタートしたのでした。余談ですが、その時に着ていたTシャツは以降一度も着ることなく大切に今でも保管しています。安いTシャツでしたがMY初猫記念♪個人的に超プレミアム付のTシャツとなったのでした。 |
Stage,3『猫まみれの生活がはじまりました。』 |
結婚を機に東京下町に移り住み現在に至るのですが、全国どこにでもある野良猫問題。当時は住んでいる地域にも野良猫(現在は地域猫と言います)が、たくさんいました。猫と暮らすまでは全く気にしていなかった外の猫たちが気になりだし、外は危険がいっぱい、かわいそうだからと家に保護するようになり自費で去勢・避妊手術をし、そのまま外に帰すことなく家で飼うという繰り返しで増える一方の我が家でした。けれども外の猫は気になる。多少、生活が苦しくなっても活動はやめられなくなっていました。一個人でできる範囲は限られます。地域もできる範囲、自宅付近に限っていましたが、自宅から少し離れた場所に以前から気になっていた猫たちがいました。それは近所の公園付近に生息する野良猫たちでした。 |
Stage,4『ますます猫まみれの生活になりました。』 |
増える元を断たなければ、いつまでたっても猫は増える一方。飼い主のいない猫がやせ細り、ふらふらしているのも見たくありません。子猫のミィーミィーという鳴き声・発情の鳴き声も聴きたくありません。結局は公園付近の野良猫問題を片付けなければ、家の保護猫にも終わりがないということになるのです。こと猫に関しては見て見ぬふりができず、ずっと心の片隅にもやもやしたものがあったのです。いつか、チャンスがきたら、心にもやもやして、引っかかっていることに決着をつけないといけないと思いつつ、日々の生活に追われていましたが、そのもやもやに決着をつける時がきました。区主体で野良猫問題を推進するボランティアを募集することとなったのでした。先ずは公園付近の野良猫を把握することからはじめました。調べてみると気が遠くなりました。想像以上に多くの野良猫たちがいたのでした。途方もなく高い壁を感じました。ひとり公園にたたずみ、不安になり、ヒューっと心に冷たい風が通り抜けたことを今でも覚えています。 |
Stage,5『猫まみれは、わたしなりの社会貢献でした。』 |
正直悩みました。進みだしたら後戻りはできない・・やるからにはきっちりやりたい。家の中も外も、全く同じ猫なのに…飼い主のいない外のねこたちを想う気持ちが最大の理由ですが、もうひとつの理由が実はありました。それは社会貢献です。例えば子ども一人育てると、大学卒業までにかかる費用は数千万と言われています。子育てしている親御さんたちは子を育てて社会に貢献しています。私たちには子どもがいなかったため、子育てをして社会に貢献することは不可能です。ならば、私たちにできる社会貢献をしよう。地域猫活動で保護猫を管理していく費用も人間一人の子育ての費用だと思えば良いのだから…と考えました。体力と健康には自信があります。よしっ!猫のボランティアで私たちなりの社会貢献をしていこうと、固い決意を胸にボランティア団体の登録をしました。同時期に登録された団体の方々は、地域猫推進の為、どの団体も悪戦苦闘の日々でした。不安な気持ちは、同志がいたからこそ払拭できました。一代限りの生を全うし、年月をかけ減らしていくことを目標に、いざ出陣!当時の猫ボラ仲間は、今でも大切な同志という気持ちは変わりありません。 |
Stage,6『とことんいきます。猫まみれ生活。』 |
いよいよ活動を始めました。ある時は、フルタイム勤務の傍ら地域猫ボランティア活動に孤軍奮闘する毎日を送っていました。毎日、毎日、公園付近を見ながらの生活が始まったのです。最初は把握できなかった野良猫たちのことが、毎日通ううちに把握できるようになってきました。少しの時間でもチャンスと思ったら即実行。日々、TNR活動に翻弄していました。とにかくTNRに集中する日々が続いていました。そんなわたしを夫も理解し見守ってくれていました。夫の心根の優しいエピソードのひとつ、こんなこともありました。避妊手術終了後、外に帰そうと思っていた猫がいました。だけどなんとなく具合が悪そう。でも家には増やせない・・わたしは心を鬼にして外に帰そうとしたとき、夫がその猫を家で飼ってあげてとお願いしてきたのです。とにかく引き下がらない夫。面倒を見るのはわたしなんだけど…と思いましたけど。夫にお願いされたのは後にも先にも、その猫だけ。夫の熱意に負け家で飼うこととなったのです。活動をしていると環境が悪いせいか、この猫ちゃんは外は無理だよ……となってしまうケースも多々あり、地域猫活動でますます保護猫も増えていました。しかしながら、TNRにどっぷりつかったおかげで、高いと感じた壁も崩れ落ち、作業の山は越えました。 |
Stage,7『猫がいっぱいいたから涙に暮れる時間がありませんでした。』 |
地域猫のボランティア活動で、ますます増えた保護猫。気が付けば23匹の多頭飼いとなっていました。猫まみれで大変ながらもなんとか暮らしていました。そんなある日、突然不幸はやってきました。苦楽を共にした夫が急逝。大学病院に搬送されましたが二度と目を覚ますことはありませんでした。結婚15年目のできごとでした。その後を追うように夫に懇願されて家にいた猫も永眠。そして、あろうことか、最愛の初猫までも…夫の納骨した日の丁度同じ日の一年後、最愛の初猫も天国へと旅立ってしまいました。でも、わたしにはまだまだいっぱい残された猫たちがいます。悲しんでばかりいられません。 |
Stage,8『美と無縁の生活だったわたしでした。』 |
ここまでの話しには、美とかエステサロンとか無縁の生活で、どこにもエステサロンを開業する経緯などありません。事実、美とは無縁の生活でした。化粧もしない。お肌のお手入れもパッパッで終わりと言う生活。でも、お肌の曲がり角はとうに過ぎています。お肌ボロボロ…でした。ひとつ、言えるとしたら、今までの活動で培った集中力やがんばりがサロン開業にも役に立ったように思います。 |
Stage,9『猫の恩返しでしょうか?』 |
夫が他界しても、わたしと猫たちとの生活は変わりませんでした。ところが人生の不思議を感じる出逢い…人生を大きく変えることとなる素敵な出逢いが、いくつも舞い込んできました。そのうちのおひとりが美導絡会長との出逢いでした。この頃になるとTNR活動も落ち着き、公園付近の猫達全て避妊・去勢手術を完了。日々地域の猫達を見守ることに重点が置かれるようになっていました。ある日、地域猫の様子を観察している最中に自転車で通りがかった会長が話しかけてきました。それは飼い主のいない猫のことでのご相談でした。真剣に猫のことを考え悩んでいるご様子に、わたしでお手伝いできることがあれば…と、ご相談に応じることになりました。この時点では、美導絡の会長であるということは全く知りませんでしたが… |
Stage,10『美導絡会長とは知りませんでした。』 |
美導絡の会長と知ったのはご相談の住所を訪れた時でした。このあたりに住んでるひとならサロンを利用していない人でも知っているというくらい老舗のエステサロンでした。 ご相談のあった猫ちゃんは飼い主のいない外の猫、かわいい女の子でした。ご相談を受け、何回か打ち合わせにお伺いし、これからという時に… 猫ちゃんは交通事故で死亡するという悲しい衝撃的な出来事で幕が下りてしまいました。亡骸は会長が清掃局から引取り荼毘にふしました。今度生まれる時はお家の子として、幸せな温もりに包まれて生まれてくるように…いつも外の猫ちゃんをお見送りするたびに感じることです。 悲しみの最後からしばらくして、先生(会長)から連絡がありました。それは、猫ちゃんでお世話になったお礼にフェイシャルサービスをいかがですか?という連絡でした。今までかまわなかったお肌でしたが年齢も40代。そろそろお顔も気になりだしていた頃の出来事でした。 |
Stage,11『美導絡のクレンジングに感動!』 |
フェイシャルサービスをうけて一番感動したのはクレンジングでした。お顔の汚れをキレイに落とすことから始まることでした。クレンジングがとても気持ち良くベッドに横になっていて、どういう方法で汚れを落としているのか、とても興味がありました。 フェイシャルサービスを終えて、先生とお話しをしてクレンジングの大切さを痛感しました。 ゲルクレンジングでお化粧を落とし、マリンソープで洗顔、最後に水エステウォッシュで毛穴の汚れを落とすというクレンジングケアに感動! |
Stage,12『お肌は生きています。美導絡のお化粧品に感動!』 |
クレンジング、マリンソープ、水エステウォッシュ、とにかく使い心地が良いことに感動しました。オイルを一切使用いていないゲル。 使い心地が良いだけではなく、マスカラ、口紅がきれいに落ちることに感動しました。今まで使っていた目元、口元用クレンジングローションがイヤな物に感じるようになり残っていましたが捨ててしまいました。 会長の『お肌は生きています!』という言葉が大変印象に残りました。年齢に関係なく生きている限り細胞も生きている…お手入れしていけば、お肌は蘇りますよ…確かに仰るとおりです。 漢方化粧品についてもっともっと勉強していきたいという気持ちが美導絡の門を叩くきっかけとなったのです。 |
Stage,13『ねこのこねで勉強ができることになりました。』 |
先生のサロンを訪ね、単刀直入に先生にお願いしました。 『漢方化粧品のこと、リンパドレナージュ・リンパ美顔のことを教えて頂けませんか?』と、会長(先生)に伝えたところ、もう教えることは打ち切りました…との悲しいお返事。それは会長の責任感の強さから教える責任を担う重大性を知るが故の打ち切りというお話しでした。ところが!ねこのこね、すごいですね。会長の心も動かしました。 |
Stage,14『人生リセット。』 |
働きながら学んでいました。今年はようやく会長から美導絡リンパ経路旋術法の認定を頂けそうな気配でした。サロン開業も夢ではありません。今年はいろいろな節目の年でもありました。わたしも50歳、人生リセットしようかな!ということで17年勤務していた職場を退職し、サロンオープンの夢に向かって進むことにしました。美と無縁だったわたしがエステサロンを開業できるなんて、夢を見ている感じでした。開業した今でも夢の様な気がしています。 |
Stage,15『懐かしい通学路沿いにサロンを開業しました。』 |
サロンからほど近い田島中学校へ通学していました。今からもう30年以上前の卒業生です。在校中は真冬の寒い時期なのにジャージがない!新設校でした。プールもありませんでしたよ。懐かしい通学路。当時はセーラー服でした。まさか30年後に、ここでエステサロンをオープンすることになろうとは…バスケット部所属の中学生だったわたし自身が一番びっくり仰天です。美導絡グループのサロンは地域密着型、定期的なお手入れ・お手当てで知らぬ間にお肌や身体が健やかになります。 |
Stage,16『皆様の美と健康のお手伝いを。そして癒しの空間としてご利用ください。』 |
建物の築年数はだいぶ古いようですが、レトロな造りがわたしは好きです。店内は白を基調としています。髪が伸びたら美容院へ行くように、お顔やお身体のお手入れにいらしてください。生きている限り細胞は生きています。お肌だって生きているんです。 |
NO!!動物実験 ここは譲れません‼︎ |
美導絡の漢方化粧品は、創業当時から動物実験は一切しておりません。 又、動物実験が必要な成分は使いません。 プラセンタは動物愛護の視点からヒューマン胎盤は一切不使用。ヒューマン胎盤と同じ核を持つ植物プラセンタは漢方化粧品の美導絡独自の配合の商品です。 動物実験に関しては勉強をするにあたり、会長に最初に確認しました。 エステサロンアコで使い心地の良さをお試しください。 |
現在の公園周辺 |
毎日、毎日、通っていた公園と、その周辺は約7年経過した現在、TNRの効果で飼い主のいないねこたちはいなくなりました。本当に静かな公園になりました。時々、公園付近を通ることがあります。時間があると立ち止まり過去を振り返ることがあります。ここで生きていたねこたちがわたしの心のポケットから飛び出してきて、足元に来たり、木登りしたり、寒さをしのげる場所で寝ていたりする姿が自然と目に浮かんでくるのです。飼い主のいないねこたちを減らすことが目的でしたので、それは達成しました。だけど、思いは複雑です。外のねこたちと悪戦苦闘する日々が目の前に現れてくると、つい涙がこぼれてきてしまいます。 関わったねこたちはわたしの心のポケットに生き続けています。 |
つながる・すべてのこねに感謝 |
今までの出逢いに感謝。今までの出来事に感謝。 吉事・凶事、ひとつ欠けてても、今のわたしは存在しなかったことでしょう。 美導絡の会長、先生、スタッフの方々に、先ずは御礼申し上げます。 そして、今まで関わった全てのみなさまに感謝。 ありがとうございます。 みなさまのキレイをお手伝い。 これからいらっしゃるお客様おひとりおひとりとの出逢いを大事にしてきたいと思っております。 どうぞよろしくお願い申し上げます。 |
名前 アコ サロン名は名前から会長が命名してくれました。 |
---|
血液型 B型 初対面の人にはA型ですか?と言われます。 付き合ってみると男女問わずB型で間違いないと言われます。 血液型で性格は判断できないと言われてますが、統計でしょうか〜? |
食べ物ではありませんが、とにかく子供のころから酢が好きです。 でも身体は超が付くくらい固いです。フラメンコの先生にも驚かれました。 |
一番多い時は24匹の猫たちと暮らしていました。 猫ちゃんたちを養うために、がんばりますっ\(^o^)/ |
1964年生まれ 山口智子さん、杉田かおるさんと同い年です。 東京オリンピックが開催された年です。 |
継続は力なり! 続けることに意義がある。 細く長くでがんばる。 で、フラメンコと草月流いけばなを習っています。 |
得意なこと 猫ちゃんのお世話係 お料理⁇(いちおう調理師免許を持っています) |
50歳+αですが体重41キロをキープ中。中学からあまり体型に変化がありません。嬉しいやら悲しいやら… |
好き ねこと戯れること。 食べること。 コーヒーを淹れて植物を見ながらくつろぐこと。 猫派とか犬派とかに関係なく、ピュアな生き物たち。 |
個人情報の管理について |
---|
コンプライアンスを大事にします。 お客様の個人情報はしっかり守ります。 どうぞ安心してお寛ぎください。 |
休業のお知らせ |
この度の新型コロナウイルス感染症に罹患された方と、 ご家族・関係者の皆様に謹んでお見舞い申し上げます。 また、医療機関や行政機関の方々など、 感染拡大防止に日々ご尽力されている皆様に深く感謝申し上げます。 当サロンでは、店舗内の衛生管理をはじめ感染拡大の防止策を徹底すると共に、 今後の営業継続を検討してまいりました。 しかし、新型コロナウイルス感染拡大を防止するために、 政府・自治体からの外出自粛要請もふまえて、 お客様の安全確保を第一に考えた対応として、 店舗を休業させていただくことといたしました。 お客様及び関係者の皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、 何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 <休業期間> 2020年3月1日 ~ 5月31日(予定) ※今後の新型コロナウイルス感染症の感染状況、政府・自治体からの要請等によっては、 休業期間を変更することがございます。 その場合にはホームページ等にてお知らせいたします。 一日も早い新型コロナウイルス感染症の終息と、皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。 |